書道と習字

書道と習字の違いは何か。

 

書道、剣道、柔道などの道とは、修練を必要とする分野における修練の途中を意味している。

 

 

とすれば書道とは、「書くことの修練の途中」を意味する。

 

 

習字とは、真ん中にレ点があると考えれば、「字を習う」と読める。

 

 

 

書道は修練の途中、習字は字を習うこと。

 

 

 

 

 

この二つの間の違いは修練とは個人の自発的な目標への追及が書道にあるものと、習字にある他者から受ける受動的な態度である。自分から書こうとするものと、他人に教えてもらおうとすることの違いである。

 

 

 

 

 

しかし、初心者がいきなり書道を独学で始めるには困難が付きまとう。書には型があるからである。型は、筆の使い方、筆の仕舞い方、書く時の姿勢、紙の選び方など決まりきったものを踏襲することである。型を守れない者に型破りはできない。型を教えてくれるのが習字である。

 

 

 

自分は小学1年生から中学3年生まで習字教室へ通っていた。そこでは日本教育書道連盟に所属し、昇級審査、昇段審査に自書を定期的に送るということを繰り返していた。審査は合否であり、確か準8級から開始し、第8級、準7級、第7級、準6級…と半歩ずつ上に上がっていく。審査は年に数回あった。

 

 

先生が書いたお手本をよく見て、数回集中して指でなぞり、字のイメージを掴んでから筆で書く。書いた作品を先生に見てもらい、修正点を指摘してもらう。指摘された箇所を練習し、紙に書く場所がなくなったら新しい紙に書く。それを1時間のうちに可能な限り繰り返す。審査が近い時には、作品になりそうなものには練習せずに取っておく。後からもっと良い書が書けたら以前のだめな書に練習する。これをひたすら繰り返すのが習字である。

 

 

ほぼ飛び級はなく、コツコツと続けて第6段まで昇段した。15歳で引っ越しをしたため習字はそれ以来していない。

 

 

 

習字の先生は既に鬼籍に入り、同じ師匠からの教えは受けられない。第6段の次は師範代であったと思う。誰かに教える気もないから辞めるのに丁度よかったのかもしれない。

 

 

 

約20年が経過し、ひょんなことから高級な筆を頂いた。

 

 

 

字はずっと書いているが、硯を使って筆で書くというのはほとんどしてこなかった。貰ってしまったけど、自分にはもったいないなという思いが強かった。しかし、、、貰ったからには使わないのも失礼だし、せっかくの機会だしということで字を書こうと思った。墨汁、文鎮、下敷き、硯、紙などを揃え、準備はした。

 

 

 

 

さて、何を書こう。。。。。。。。。。。   。。。。   。。。。

 

 

 

 

 

わからない。

 

 

 

 

 

 

グーグル先生に相談すると、回答を得ることができた。「書道 お手本」と検索すると字のお手本が揃っている。これらを真似てみればよいのではないか。時代は変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うまく書けない。。。

 

 

 

 

しかし、うまく書く必要もない。昇段試験は予定していない。グーグル先生の勧めるままに自由に書けばいい。

 

 

 

これは、習字ではない。書道である。

 

 

 

ただ単に修練していけばいい。極める先は自分の満足である。

 

 

 

型は知っている。今後は修練を暇に任せて続けていこうと思う。

 

 

 

 

この記事を読んで「オチがないな」と思ったと思う。書いてて思う。

 

 

そう、修練にはオチがない。芸術にはオチがない。絶えず足りない部分を追い求めるものであるから。

 

 

この文章も芸術である。