スマホは爆発的に普及した
さっきまでスマホの料金プランを見直していた。ここ数年、3カ月~6カ月に1度くらいでスマホの料金を見直している。偉い。
ドコモを利用しているが、新しい料金プランが出まくる。過去のプランは新規契約が凍結されるが、今までの加入者は継続される。新しい料金プランが出たということは安くなる可能性があり、ほとんどの場合、新しい料金プランが最も安い。だったら自動的に最安プランになるようにプログラム組んでおいて自動契約にしてもらいたいものだが、スマホはそうもならない。なので見直す。
見直していて思うのは、使わなければ安いじゃん、ということ。従量課金制のためデータを節約すれば安い。昔のプランは使っても使わなくても定額制であったから安く済ますことはできなかった。使わない方が安いのなら極力使いたくないけど、手放す訳にはいかない。では、いつからスマホは手放すことができなくなったのか。
上図は総務省が出した通信利用動向調査の結果である。スマホは2010年に9.7%から、5年間で72.0%に普及率を上げている。10年ひと昔と言うが、5年で日本社会を変化させたと言ってもいいくらいの変化を見せている。スマホが出始めたのは、2000年頃らしい。車内電話、PHS、携帯電話、フィーチャーフォンと進化を遂げたが、フィーチャーフォンはアプリもOSもハードウェアと一体型であり拡張性に乏しかった。それが、OSもアプリも自由にダウンロードでき、消去もできてアップロードもできるようになったことから、2010年から爆発的な普及に至った。
10%から70%ってすごい変化。
出荷台数もいい勢いで伸びている。
これはドラえもんが発売されたら一気に普及するであろうと勘ぐってしまうほどの伸び。
スマホって携帯電話と何が違うのだろう。検索できること、ネットサーフィンできること、アプリが使えることくらいではないか。そんなに日本人はスマホに何を期待しているんだろう。
検索しなくてよくね?ネットで調べなくてよくね?アプリ使わなくね?って自分も使っているから言えないけど、そう思わなくもない。検索しても無料で得られる情報って価値低いっちゃ低いですよ。ここら辺は、
に詳しく書いてあります。結構その通りかと思います。
眼悪くなるし、時間泥棒だし、クリエイティブでないし、やらなければならないことはほかにたくさんあるし、スマホを見ている時間って意外となくてもいい時間なのではと、一歩下がってみるとそう思えますが、いかがでしょう。スマホは歩数計くらいの使用にしておこうと、電車の中では本を読もうと思います。眼悪くなりたくないし。
通勤電車のなかでは高校生、大学生が多い区間があるのですが、スマホへの集中率は半端ないです。皆さん、一人だろうが、友達がいようがスマホ見ている。スマホすげー。こんなに人の興味を引く道具もないです。
パピルスの時代の手書きから、PCでのタイピングが普及したことでヒトの文化が大きく変わったと捉えれば肯定的でしょう。記録が格段に短時間に低労力で行えるようになっていますし。手書きを大事にする考えもありますが、今はもうそれはアンチテーゼであって、タイピングが基本であるからこそ手書きが貴重という位置づけでしょう。手書きが基本であったのは過去のこと。今は殆ど書かなくても済んでしまうし。
そう考えると、手書きの終焉がスマホの普及ということなのかな。手書きは終焉していないし、いまだにばりばり書く人は書くのだろうけど、ヒトという集合体で見た時に書くという行為に割く時間は著しく減っているし、減っているからこそ仕事の単位時間当たりの効率は増しているのである。
自分もほとんどの文字をタイピングするが、手書きで行う仕事もある。手書きは時間がかかる。非常に非効率である。書くことは好きだが、書いている時間がない、あるいは惜しい。文字は書くから、打つに変化している。
コンピュータってすごい。
この辺の、これまでになかった道具をうまく、迅速に使いこなせる能力っていうのは、仕事ができるできないの評価に直結するのだろうなぁと思う。
あぁ、仕事が早くできるようになりたい。書くのは好きだが、打つ方が仕事は早いか。受け入れよう。
スマホの話だった。プランを見直したけど、新しいスマホはいらないなぁという結論。スマホはなるべく使わない方が効率的に仕事こなせるという真理。
それを発見しました。報告は以上。