· 

Youtube見続けて考えたこと

2016年8月から2017年3月までYoutubeを見まくった経験をここに記しておこうと思う。

 

大学院生でネズミを使った、いや、おこがましい、ネズミの力を借りた研究をしていた自分は、朝9:00から14:00くらいまでネズミを散歩させ、昼ごはんをさっと食べ、14:30から20:00くらいまで血液を採取し、20:00から26:00まで行動測定を行うという実験を週5日継続していた。

 

ざっくり言うとそいうことになる。

 

実験と言うと聞こえはいいが、実際は単純作業である。それもそこまで技術を必要としない単純作業であり、そこで必要とされる能力は忍耐と集中力である。忍耐と集中力の中でも、具体的な心理的側面を言えば、心を無にすることである。

 

主に細胞を使用する実験をvitroの実験、マウスなどの動物を扱う実験をvivoの実験という。vivoの実験はとにかく時間がかかる。それも単純作業に費やす時間がかかる。そこで、実験室にPCを置きっぱなしであった環境から自ずと単純作業の傍らに実験室にはYoutubeが延々と流されることとなった。

 

イメージでいうと、町工場でラジオが流されていたり、トラックの運転手が演歌を聞き続けるみたいなステレオタイプの研究室バージョンというところか。

 

とにかく、時間があった。

 

Youtubeを見まくった。

 

Youtubeにはジャンルがある。音楽(最新音楽、PV、作業音楽、ヒーリング音楽)、レース動画(バイク、F1、ラリー)、ユーチューバ―系(やってみた系、危ないことした系、大食い系、辛口食べた系、化粧紹介系など)、ギャンブル系(000円分買ってみた系など)などなど。全部は把握できないし分類できない。あと、ねこてんみたいなただのんびりする動画もある。

 

ねこてん、のんびりしている20歳くらいの女性動画。これを見る、いや、観るという行為にどんな意味があるのだろう。

 

なんかお菓子食べてる。なんか自分語っている。なんかジュース飲んでいる。チャーチルという名の猫が横切る。

 

そしてそれを10万人を超える人が視聴している。これは、、、、、、暇だ。

 

少なくとも仕事が忙しく、待っている人がいるのにこなさなきゃならないことが山積みで、他にも仕事が詰まっている午前10時頃とかに見ている動画ではない。暇だから見ることができる。

 

その女性がかわいいから見ているとかいう印象はない。暇な人間は暇な人間を呼び寄せるということか。

 

暇。

 

これがYoutubeの感想である。その例はねこてんひとつだけで恐縮だが、今自分は忙しいのでこれ以上暇な文章を書く時間はない。

 

母によく言われた言葉がある。

 

「テレビに負けると人生に負ける」

 

テレビと戦っていたのか、と今では思う。テレビは敵ではないし、負かすこともできないし、勝つこともないであろう。スイッチを付けて消して、チャンネルを変える装置である。まぁ、テレビを見すぎるなということだが、今はYoutubeにあてはまる。

 

「Youtubeに負けると人生に負ける」

 

Youtubeと戦っていたのか、と今ではそう思う。Youtubeは敵であり、負かすことができ、勝つこともある。

 

暇は打ち勝つことができるし、そうであればYoutubeも同じである。

 

つまり、

 

「Youtubeは敵」

 

負けてはいけない。

 

たいてい見てきた。ラファエルもひかるも、ギャンブルもレースも。チェーンソーで宅急便屋を脅かし捕まった長谷川も、エドシーランも。しかし、何も得ることが無かった。

 

何時間費やしたか分からない。それでも残すものがない。

 

動画を見る、という行為は言うまでもなく生産性が皆無だ。文字一つ書かなくていい。生み出すものがない。だから残らない。

 

感動もほぼない。

 

つまり、この記事に意味はない。