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プルーイットアイゴーの失敗から学ぶもの

17年で解体された都市

失敗した都市計画

どうもこんにちは。きたのたぬきです。

 

敷地面積23万平方メートル(築地市場くらい、東京ドーム5個分)、11階建て住宅33棟の大建築プロジェクト(プルーイットアイゴー)がかつてありました。場所は米国、ミズーリ州、セントルイス。様々な問題をはらんだこの計画は実施されてから17年後に解体という憂き目に遭いました。

問題は現代にも活きる

プルーイットアイゴーの抱えていた問題は現代にも通じるものがあります。

 

日系アメリカ人建築家ミノル・ヤマサキ氏が設計し、戦後の1954年にオープンし、1956年に完成しました。しかし、犯罪が蔓延し、スラム化したため1972年に爆破解体されました。住宅計画、団地計画の失敗として最大級の規模として知られています。

失敗に至った理由は複合的で、設計、予算、時代背景など多岐に渡ります。問題を抱えるのはすべての団地に共通することでしょうが、爆破解体されるほどの問題を抱えた団地とはどのようなものであったのでしょうか。

 

1.団地内のレクリエーションギャラリーの存在

 

団地内には、誰でも自由に出入りすることができるオープンスペースがあった。建築家ならではの地域住民の創造性をかきたてるためのスペースとして用意されたのであろうが、実際にはスラム化する要因となった。住環境において自由に出入りできるということは危険と隣り合わせともいえることを示してしまった。

 

2.経済の停滞

 

1950年代以降、セントルイスでは住民と企業の流失が続いた。それまで、バドワイザーの本社、航空機会社(マクドネル・ダグラス社)、化学薬品大手本社(モンサント社)などが本拠地とし、大学も新しく設置されるなど、隆盛を極め一時90万人近い人口を有する都市となったが、1950年から1970年にかけてセントルイスの人口は23万人減少した。アメリカ経済も長引くベトナム戦争によって停滞していた。失業や、活気をなくした都市というのもスラム化に一役買ったであろう。

3.コスト削減

 

公園などのコミュニティスペースを当初設ける予定であったが、予算の都合から団地内の公園は作られないことになった。日本では国土交通省により、街区公園は250mの範囲内に0.25haを基準として配置することと規定されている。都市公園には、災害時に避難者の待機所となること、消防・救援活動の拠点となること、火事の際に延焼を防ぐ役割などがある。それ以外にも、人々の往来の中心となる役割、歴史資源の保存、自然資源の活用といった文化的な役割もある。これらは安全で文化的な生活を営むうえで必要であり、不可欠な要素なのであろう。これをプルーイットアイゴーでは欠いていた。

4.住みにくさ

 

ミノル・ヤマサキ氏は、エレベーターを1階・4階・7階・10階にのみ止まる設計(スキップ・ストップという方式)にし、それぞれ上下1階ずつは階段を使うことを前提にした。移動の効率を求めたものだろうが、これは利用者の不便としかならなかった。

やがて人は離れていく

こうした背景が重なり、プルーイットアイゴーは空き家が多くなり、犯罪者が多くなりスラム化した。そのため団地は爆破解体となった。

 

このことからわかるように、住民にとって住みやすい都市であることは空き家対策にもなるし、治安の維持にも役立っている。

現在日本は、総住宅数が6063万戸、空家数は820万戸。総住宅数に占める空き家の割合は13.5%と過去最高になり、この数字は今後も上昇すると予想されている。

 

空き家を作らないためには住みやすい家が必要、都市の治安を守るにも住みやすい町が必要(十分ではない)であることは想像に難くない。住みやすさを追求することが安全にも繋がるとは、都市計画の重要性を理解できる事案ですね。

 

ではまた。

 

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コメント: 1
  • #1

    イデ子 (水曜日, 10 2月 2021 20:05)

    あまり見るべき考察のない記事でした。